秩父宮記念公園
歴史的背景
 秩父宮記念公園は、かつて秩父宮雍仁(やすひと)親王同妃両殿下が戦中戦後の時期を過ごされた御殿場御別邸でした。平成7年8月25日薨去(こうきょ)された秩父宮雍仁親王妃勢津子殿下の御遺言により、平成8年9月、秩父宮家から御殿場市に遺贈されました。その後、御殿場市により整備され、平成15年4月、秩父宮記念公園として開園し現在は御殿場総合サービス株式会社が管理・運営しております。
秩父宮殿下と御殿場御別邸
 日中戦争の最中、軍部の影響力が日増しに伸長し、戦争の一層の拡大に向かって情勢が傾斜していく中で、秩父宮殿下は軍部における御過労と、国情の悪化を憂慮する御心労が積み重なって、御健康を次第に害されていきました。昭和15年6月に御発病になり、侍医は肺結核の診断を下しました。箱根藤田御別邸、続いて葉山御別邸で御療養になりましたが、夏でも涼しい御殿場の気候が殿下の御療養に適しているとの侍医の判断により、昭和16年9月ころから御殿場に御別邸を構えて御療養生活を送られることとなりました。以後、昭和27年1月に鵠沼(藤沢市)の御別邸に移られるまでのおよそ10年間の大半を御殿場御別邸で過ごされました。この間、昭和20年8月15日には、終戦の詔書を伝える玉音放送を高松宮同妃両殿下と共にこの地で聴いておられます。
 御療養中は御寝所で読書や詠歌、詰め将棋をされるなどして過ごされましたが、当時、自らの置かれた境遇を省みて、
「まよわじと誓いし心ゆるぐなり 起きあがる日のあてもなければ」
「戦いははげしさませりあせらじと おもい思えど心いらだつ」
といった御歌を詠まれています。
 殿下は毎日富士山をご覧になって御心を慰められましたが、春の雪をいただいた富士山が一番お好きだったとのことです。
 当時は食糧難の折であり、邸内では戦時下より畑を耕し、芋やカボチャを作っていました。妃殿下は殿下を看病される傍ら、農婦姿で鍬を握り作物を育てられました。殿下も戦後、一時的に御身体が回復されてきた頃には近在の農民と共に野良着姿で畑仕事や家畜(鶏・綿羊・役牛など)の飼育に励まれ、農園の広さはおよそ500坪に及びました。
 戦後の秩父宮殿下は皇室と国民をつなぐ架け橋となるべく、御療養生活を送りながら言論活動をなさいました。御殿場実業学校(現御殿場高校)の卒業式や地元の成人式で祝辞を述べられるなど、地域とも深い関わりを持たれました。昭和23年9月にはこの御別邸でのインタビューの内容をまとめた「御殿場清話」が発刊されています。
秩父宮雍仁親王殿下について
 大正天皇の第二皇子淳宮(あつのみや)として御生まれになり、20歳になり御成人と同時に秩父宮を創立されました。宮号は、秩父嶺が明治天皇の崇めていらした帝都所在の武蔵国の名山であり、殿下の御住居の西北に位置し、往古日本武尊(やまとたけるのみこと)が奥羽御平定の後にこの地方を通られた歴史にちなみ選定されました。
 若き日の殿下は様々なスポーツを愛好され、「スポーツの宮様」と評されましたが、とりわけ登山とスキー、ボートを好まれ、英国留学中にはマッターホルンに登頂されています。晩年には陶芸もなさいました。
 また、戦時下より一貫して戦争拡大政策に批判的で、戦後は御別邸においても御療養生活を送りながら執筆活動をなさいました。その御人柄は広く国民から親しまれていました。
勢津子妃殿下について
 外交官松平恒雄(旧会津藩主松平容保の四男)長女節子嬢として御生まれになり、大正天皇皇后であった貞明皇后と御名前の表記が同じであったために御成婚を機に勢津子に改名されました。
 学習院初等科時代には毎夏、中畑にあった樺山侯爵別邸(現在の御殿場市立西中学校)で白州正子様と楽しく遊ばれたということで幼少時より御殿場に御縁がありました。御殿場をこよなく愛された妃殿下は殿下が薨去された後も夏期を中心に御別邸で生活されました。
 昭和14年5月には(財)結核予防会の総裁に就任されました。殿下が薨去された後も殿下の御看病の御経験を踏まえて、結核の撲滅を目指し熱心に活動されました。御殿場御別邸の御殿場市への遺贈は、妃殿下の御遺言によるものです。
秩父宮雍仁親王殿下御事蹟
1902年(明治35年) 6月25日 大正天皇の第二皇子として青山御所にて御生誕
1909年(明治42年) 4月12日 学習院初等科御入学
1920年(大正9年) 10月1日 陸軍士官学校御入学
1922年(大正11年) 6月25日 秩父宮御創立
  10月25日 陸軍少尉に御任官
1925年(大正14年) 5月24日 英国御留学に御出発
1928年(昭和3年) 9月28日 松平勢津子様と御成婚
1929年(昭和4年) 10月10日 明治神宮体育大会総裁に御就任
1937年(昭和12年) 5月12日 英国皇帝陛下戴冠式に御名代として御参列
1941年(昭和16年) 9月16日 御殿場御別邸に御移居
1945年(昭和20年) 5月25日 赤坂表町御殿本館空襲にて全焼
1952年(昭和27年) 1月20日 鵠沼御別邸に御移居
1953年(昭和28年) 1月4日 薨去
出典・参考文献:
「秩父宮雍仁親王」「御殿場清話」「銀のボンボニエール」「思い出〜秩父宮妃殿下」「秩父宮と昭和天皇」「秩父宮妃勢津子」
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